吉祥寺の歴史

 当山は、正應年間(鎌倉時代)に男女山の東山麓にあり、香々美川を眼下に堂・伽藍の荘厳さは想像を絶するものであったという。

 然るに、慶長年間に天変地異が起こり、暴風雨により男女山の二山半腹より崩壊。堂宇及び経巻什器を悉く流失し、字古寺に移る。

 その後、再び洪水のために流失し今の地に移した。

 明和3年、観深上人が堂宇を建立し、寺観頗る壮観であったが、明治13年に舞馬の災い(火事)により、灰燼に帰すところとなる。

 されど、ご本尊毘沙門天王の功徳護念は尽きることなし。

 大正10年、先師道榮上人が大同協会を組織し、児童保護と施療事業に尽力す。以降、代々住職と檀信徒の祈願結実し、昭和60年に本堂を建立。平成14年より、「平成の大修理」と号する境内整備事業が始まるところとなる。

 檀信徒の勧進・篤志により、平成17年客殿・祇園堂・手水舎を建立。以降、鐘楼・遙拝所等を修築し、平成30年の護摩堂建立に至って寺観大いに整い、現在に及んでいる。